今週、工房ではどんな事があったか。
参加者はどんなことを考えているか。
毎週火曜日、創劇の現場からお届けします!

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★ 8月26日 「稽古場レポート Vol.3」
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いよいよ本番前の最終火曜日。
チューズデーレター最終号ということで、「稽古場レポート Vol.3」を出演者全員から頂きました。
まずはこの6名のレポートをどうぞ!




大木湖南 as クルイギン(フョードル・イーリイチ)

役者というものは、いかなる役であれ、真心を込めて演じる事が望ましいのでありまして、今回、共演させて頂いた方々は皆さん真心に溢れてました。
素晴らしい公演になると、確信しております。



尾方宣久 as ソリョーヌイ(ワシーリイ・ワシーリエヴィチ)

今日は衣装とメイクを実際に合わせてみる日だった。
みんな予想以上におかしな格好で、おかしかった。
特に安田くんが面白かったので、写真を撮ったんだけど、
ネタバレになるからここに載せるのはやめといた方がいい。
と思った。



岡部尚子 as イリーナ(俗にはアリーナ)

三人姉妹の三女のイリーナ役の岡部です。

イリーナは20歳です。私はオーバー30です。
イリーナはモテモテです。私はモテたことなどありません。
イリーナを形容する台詞にもたくさん出てきます。
「可愛いイリーナ」「私の白鳥さん」「美しい人」「うっとりするような髪の毛」「美しいあでやかな顔」
…。
実年齢より若い役をやったこともたくさんありますが、今までは「三枚目」だったり、登場人物が全員若い設定だったり…。
でも今回は違います。

更に小学4年以来伸ばしたことなどなく、ずーっとショートカットの髪の毛。
今回は…付け毛をする予定です。
ヘアメイクのイラストを見たとき、嘘だろうとつぶやきました。
共演者の日詰さんは声に出して笑っていました。
ファックさんもです。婚約者の役なのに。

何故私がイリーナなのか。

最大の疑問でした。
台詞の解釈よりも、難しい問題でした。
ずっとずっと、演出のごまっぺに聞こう聞こうと思いつつ、聞かぬまま今日に至ります。
もう聞かないほうがいいかなと最近では思いはじめています。
いや、やっぱり聞いたほうがいいのか。

「キャスティングには自信がある」的なことをごまのはえ氏が稽古場で言うてるのを小耳に挟みました。
それが答えか…。

…なんて書くと「マイナス」のイメージが強いかもしれませんが…。
今は楽しくて仕方ありません。
もうやることはないだろう「女の子」。
「女性」ではなく「女の子」。
最初は聞くたびに「ごめんなさい」と言いたくなった、イリーナを形容する私とはほど遠い台詞を聞くのも快感に変わっています。

私の話ばかりで終わってしまいましたが…。
あと数日、まだ数日。
最後まで気合い入れて走り抜けます。

階段落ちに気をつけながら。



キタモトマサヤ as チェブトイキン(イワン・ロマーノヴィチ)

俳優の立場で稽古場を過ごすことで、自然と自己の演出家としての存在を検証することとなりました。
また、ごまのはえという演出家の異能ぶりを楽しませていただいてます。
そうか、なるほどねという発見とおどろき。
本番の舞台の面白さへの期待が俳優のひとりとしても高まってきている今日このごろです。



高澤理恵 as フェラポント

フェラポントの見所はずばり衣装と小道具ですね。
見ただけでも面白いので、色んな動きをして遊んでいます。
全然おじいさんではありません。ポンコツですが。
楽しんでいただけるようにがんばります。
『三人姉妹』全体では見所満載で紹介しきれないのですが、告白のシーンが私は好きです。
ああ、でもやっぱり紹介しきれません。
どうぞ楽しみに劇場にいらしてください。



長田美穂 as アンフィーサ

ハ〜イmiho♪mihoことアンフィーサ役の長田美穂です。
チェーホフの「三人姉妹」を一味も二味も違ったごま演出は皆様を「ここは何処?」と果てしないごまワールドに率いれてくれることでしょう。
アンフィーサは、私もいつか…イヤ間近に迫ってる老、そして不安稽古中何度となくふと孤立感をも感じながら、アンフィーサを演じていました。
原作では、校長になったオーリガと明るく楽しく満足してる様が書かれているのですが本劇にはありません。
が、きっとその後は神様から幸せのエキスをたっぷりもらい若返って82才の恋をしているかもしれません。
お楽しみに♪〜




様々な角度からのレポート本当にありがとうございます。
そして、後半の6名は明日更新いたします!
最終号のチューズデーレターは前半、後半の2本立てです。
どうぞお楽しみに。

チケットも絶賛発売しております!!!
当日券も発売しますので、
ぜひぜひ京都府立文化芸術会館へ足をお運びください。



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京都府立文化芸術会館 Tel 075-222-1046 
ぶんげいマスターピース工房 Vol.2『三人姉妹』 
2008年8月30日(土)19:00 31日(日)14:00 
□PR 観劇が更に楽しくなる「ぶんげい演劇工房」はいよいよあと一つ!
学芸講座 8月27日(水) 19:00-21:00 「古典戯曲彩々」講師:椋平淳
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2008.08.26. 14:55 | チューズデーレター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
7月30日の京都新聞で、演劇工房の小学生向けワークショップについての記事が掲載されました。

下記のリンク先から記事と写真をご覧いただけます!

「京都新聞」 - 身ぶり手ぶりで表現
上京、プロが指導 児童ら演劇体験
2008.08.23. 17:22 | その他のお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
さて、看板レポート最後の記事です。
新看板が出来上がりました。
kanban1.jpg


タイトルの『三人姉妹』に加え、“アントン・チェーホフ×ごまのはえ”がクローズアップされています。
稽古場もあと残すところ1週間。連日俳優を加えての三つ巴の格闘が繰り広げられています。

また、今回はバス停待ちの人にも読めるようにあおり文句が入っています。
kanban2.jpg

ぜひとも24日、27日に開催されるぶんげい演劇工房「学芸講座」にご来場がてら、新看板もチェックしてみてください。



◆8月24日(日) 15:00-17:00
「チェーホフと小劇場について」
講師:岩崎正裕(劇作家・演出家、劇団太陽族)

私が劇団活動を始めたのは80年代。日本社会はバブルに向かう前夜祭みたいに浮かれ、演劇状況も「何でもあり」の様相を呈していたのです。中心だけがポッカリ抜け落ちている、自己の表現の空虚さに煩悶しつつチェーホフに救いを求めた90年代。周囲を見渡せば、現代口語による演劇が巷に溢れていました。私が20数年間に見てきた関西小劇場史と、チェーホフの台詞と構成と、おそらく主観に満ちて話す機会になるんだろうと思います。



◆8月27日(水) 19:00-21:00
「古典戯曲彩々」
講師:椋平淳(プロデューサー・演出家、大阪工業大学准教授)

昨今の文芸界では、古典作品の再評価がちょっとしたブームです。演劇界でも近年は、海外のマスターピースや日本の近代古典を舞台化する機会が目につきます。オリジナル作品への評価が高い関西演劇界でも、才気あふれる古典戯曲の演出に感銘を受けるケースが増えてきました。最近の代表的な古典上演をふり返りながら、また、古今東西の演劇史をひも解きながら、古典戯曲の世界の広がりと味わいを探ってみましょう。


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<参考資料>
昨年の学芸講座レポートはコチラ
オーリガ役の日詰千栄さんが書いてくださっています。
2008.08.23. 11:31 | その他のお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
マスターピース工房・制作部です。

いよいよあと10日で、「三人姉妹」本番です。
稽古場も大道具などの舞台スタッフも小道具や衣装などのスタッフも、フル回転で作品作りに集中しているようです。

さてさて、京都のアトリエ劇研の「劇研アクターズラボ」さんのブログで、紹介記事とリンクをしていただきました。

劇研アクターズラボ

今回の三人姉妹には、アクターズラボの講師や受講生の俳優がキャストとして出演しています。
どの役者さんがそうなのか、詳しくは↑のアクターズラボブログの記事でチェックしてみてください!
2008.08.21. 11:20 | その他のお知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今週、工房ではどんな事があったか。
参加者はどんなことを考えているか。
毎週火曜日、創劇の現場からお届けします!

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★ 8月19日 「名作を観るおもしろさ」
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今回のチューズデーレターは「名作を観るおもしろさ」について。
昨年のドラマツルグであり、今年はぶんげい演劇工房の学芸講座にて、チェーホフや古典についての講座をしていただいているお三方に寄稿をお願いしました。


「‘演劇資源’としての古典戯曲」  椋平淳

興行として古典作品を取り上げるとき、オリジナル作品を上演する場合となにが異なるかというと、おそらく、事前の公演情報に目を向ける観客層の広がりが少なからず異なってくるように思う。

事実、この京都府立文化芸術会館で開催されてきた過去2年間の「ぶんげいマスターピース工房」では、初年度がブレヒト、昨年度はチェーホフの短編が上演されたのだが、いずれの場合も、出演している俳優が普段演じている小劇場的な芝居は観ないようなオールド演劇ファン(といっては失礼か??)の方々が客席を占める割合が、通常の興行時よりも多いように思える。無論、やがて開館40年を迎えるこの会館には「友の会」という会員制度があり、ご年配の顧客にも情報が直接届いている、という影響もあるのかもしれない。けれども、一般のメディアにしても、「あの劇作家の古典戯曲が新たな解釈でよみがえる!」っといったノリで、古典の公演を報道することはめずらしくない。最近では、関西の演出家や小劇場集団が国内外の古典戯曲に取り組むことも、絶対数は少ないながら継続的に行われている。その代表格の深津篤史氏率いる桃園会やキタモトマサヤ氏主宰の遊撃体、三浦基氏の地点などの客層は、以前と比べると年齢的な厚みを増しているように感じられる。つまり、その演出家や集団の古典上演を観たことがきっかけとなって、その集団の顧客となった方々が一定数おられるということだろう。

もちろん、古典上演のメリットは、観客層の拡大以外にも多方面にあるだろう。たとえば、自作や同時代の作品を演出することが多い現代の若手演出家は、異なる時代のドラマツルギーに立ち向かうことで、自らの演出手法を進化させる契機となるだろうし、そうした演出家と舞台製作をともにする俳優・スタッフたちも同様だろう。けれども、そうした個々の表現技術の向上という視点ではなく、むしろ、演劇文化全体の振興や将来像を念頭においた場合のほうが、古典の上演機会を増やすことの意味は大きいように思う。

たとえば地点は、すでにチェーホフ四大作品のレパートリー化を宣言している。こうした特定の集団だけでなく、年間公演数のかなりの割合を古典作品に割り振るような事業戦略をもった劇場が現れてもよいはずだ。地域の税金や寄付で運営されているアメリカの地域劇場のなかには、地元住民の観劇希望に応えるために、公演数の6〜7割を古典戯曲に割いているケースもある。その真似をめざすことは日本では簡単ではないし、またその必要もないのかもしれない。けれども、古典戯曲という‘演劇資源’の活用のしかたは、事業の企画レベルでもっと追求されてしかるべきだと思う。


「名作を観るおもしろさ」  岩崎正裕

劇作を志す者は、多かれ少なかれある時期に、オリジナリティーの壁に突き当たる。そもそもが「誰それ」の模倣から出発するので、「さて、自分の独自性とは何か」などと考えこんでしまうのだ。しかし、しばらくしてこの問いはナンセンスであることに気づく。人類が言語とコミュニティを持って以来、物語りは幾万幾億と語られ、語り尽くされ、今やスタイルの差異しか存在しないのだと。

もちろんこれは才能貧しき者の開き直りでしかないけれど、オリジナリティーの追求などにこだわっていると、身動きがとれなくなるのだ。そんなわけで、私は常々、古典からは堂々と借用引用すればいいと思っている。つい先日、幕が開いた新作もチェーホフ「桜の園」のアダプトを後半に盛り込んだ。

しかし、近代劇を古典と総称していいのかどうか、研究者でない私は戸惑う。テネシー・ウィリアムズは現代劇で、チェーホフは近代古典なのか。いずれにしろ、借用引用に向かう私の視線は、その作品の(作中の人物の)同時代性に注がれる。古典を原作の言葉通りに上演するにしても(海外戯曲の場合、翻訳というファクターはあるが)、台座に据えて崇め奉るような方法では意味がない。埃が被ったベールを剥ぎ取り、骨格の浮き出る裸体を白日のもとにさらけ出す。そんな上演に巡り合いたいし、また創作したいとも思う。


「『三人姉妹』について」  永田靖

チェーホフの『三人姉妹』(1901)は、『桜の園』(1904)と並んでチェーホフの最晩年の作品です。この作品はチェーホフの技巧が内容と密接に結びついて容易に真似ることのできない作品になっています。同時代の演劇の約束事を踏襲することは意図的に回避していて実験的であり続けています。

例えば、劇全体が含んでいるエピソードの数が多く、多岐に渡っていて、互いに脈絡がないものが多いのです。冒頭は、オーリガの一年前の回想から始まりますが、回想の途中にチェブトゥイキンとトゥーゼンバフが「馬鹿げた話」をしながら登場しますが、オーリガは、誰も本気にしては聞いていないのをいいことに、自分の話を止めません。妹のマーシャが本を読みながら口笛を吹いているので、オーリガはそれを諌めるのですが、するとオーリガは急に気分が変わり、毎日の耐え切れない憂さを話し始めます。末妹のイリーナだけは明るい未来を信じていて、モスクワに行けば、自己実現のできる仕事にも、真実の愛にも、出会えると考えて屈託がありません。ですがチェブトゥイキンは抜け毛治療の新聞記事に気を取られています。

この冒頭からしてほとんど芝居にはならないエピソードで満ちていますし、一つ一つのエピソードがエピソードになる前に次のエピソードへと移り変わって行ってしまい、落ち着きません。『三人姉妹』には、およそ劇的なプロットは少なく、第3幕に火事、第4幕に決闘と別れの場面があるばかりです。サスペンスがあるわけでもなく、日常の出来事の数々が描かれていくだけです。ですが、この冒頭の日は、イリーナの20歳の名の日(言わば誕生日)のお祝いの日でもあり、これから皆が集まって食事会が始まりますが、実はこの日は三人の姉妹(と一人の男兄弟)の父親の一周忌でもあります。チェーホフが技巧的というのは、例えば、わざわざ娘の誕生日と父の命日を同じ日に設定している、そしてその日を劇の始まりに持って来ているという点にあります。考えようによっては、とてもわざとらしいのです。

チェーホフの劇では、自然な感情が流れているもの避けがたい事実なので、自然な演技が要請されるのですが、一方でとてもわざとらしい技巧が目立つ劇でもあります。チェーホフの劇を、自然さの中で上演するのがいいか、わざとらしさの中で演出するのがいいかは、時代や社会の趣味や感性、また演出家の考え方によるのでしょう。

では、なぜチェーホフは、父の命日と娘の誕生日を同じ日に設定しているのでしょうか。チェーホフの劇では、しばしば父親は不在です。不在といっても、ただ登場しないのではなく、そもそも死んでしまって存在しないことが多いです。この時代の家庭にあっては、家父長制的な因習が強く残る19世紀ヨーロッパ=ロシアの家庭で、父親の不在は決定的です。家庭の中心を不在にすることで、登場人物の状況が不安定で過渡的なものになるのでしょう。この作品ではただ父親の不在ばかりではなく、それは娘の20歳の誕生日と重ねられています。つまり、父がいなくなることと娘の大人になることが重ねられているのです。

そう考えれば、『三人姉妹』の中には、兄弟たちがしばしば父親の教育の厳しさや、父親の意向に沿って生き方を選択したことへの言及があります。兄のアンドレイなどは、父が死んでほっとしたのか太ってしまっていますし、マーシャなどは父からしつけられた外国語の教育など無駄だったと言いますし、オーリガは本当は教師になどなりたくはなかった風な言い方をします。そう考えると、この劇は、父の呪縛から逃れて、はじめて自分で生き始めた四人の兄弟たちの劇ということになります。厳しい父親から解放されて一年目から劇はスタートして、およそ2〜3年ほどの時間を劇は持っていますが、その彼らの自立する過程が描かれているわけです。

4人の兄弟たちのアイデンティティの模索を描いているとすれば、それは自分ばかりではなく、他者と出会い、他者をどう理解するかにかかっているはずです。劇では、4人の兄弟たちはそれぞれに他者と向き合って行きますが、チェーホフはこの出会いをコミュニケーションの不全として描こうとしているように見えます。つまり人と人とがどんなにか言葉をやり取りしても、一番必要で最も大切なことは容易には通じ合わせることができないことの残酷さと滑稽さを描いているように思えます。この劇の中で、唯一「愛」らしきものを通じさせることができるのは、マーシャとヴェルシーニンの不倫の関係です。彼らは愛を通じさせる時には人間の言葉を話しません。「トラムタムタム・・」という暗号めいたオノマトペで通わせあうのです。その他の人々は人間の言葉で喋り続けるのですが、決して互いに理解しあうということがありません。チェーホフはこの逆説を描いているのです。そんな中で彼らの自立はうまくゆくのでしょうか。それはもはや言う必要はないと思います。

古典を上演することの意味はいろいろあると思います。今までにない解釈を観客は求めますし、演出家や劇団の側も野心的で新しい新機軸を打ち出して行こうとします。そのことで劇の新しい見方をしたいのです。でもそれはなぜなのでしょうか。なぜ、新しい演出が必要なのでしょうか。それは思うに、新しい(そしてうまく行った)演出こそが、古いけれど、人間には本来的に付きまとういくつかの問題について、大いに感知させてくれ、自分自身のことについて深い物思いに耽らせてくれるに違いないからだろうと、私は思っています。『三人姉妹』について言うなら、彼らの自立の試みがうまく行かない有様をチェーホフは描いていますが、その原因や理由については、チェーホフは口を閉ざしています。劇を見た私たち観客だけがその理由や原因について感じたり、考えたりできるのです。一体、なぜ、4人も兄弟が一緒に暮らしていて、彼らはまっとうな大人になることができなかったのだろう。今回の上演がそんな問いへの答えについて思い巡らせてくれるものであればいいなと思います。


名作古典のおもしろさを三者三様に語っていただきました。
それぞれ大変興味深く、参考になることばかりです。
椋平淳さん、岩崎正裕さん、永田靖さん、ご寄稿本当にありがとうございました。

『三人姉妹』観劇が更に楽しくなる学芸講座は、まだまだ参加者募集中です。
永田さんの講座は3日に終了しましたが、椋平淳さん「古典戯曲彩々」は8/27に、岩崎正裕さんの「チェーホフと小劇場について」は8/24にそれぞれ行われますので、ぜひご来場お待ちしています。
詳細はコチラから。 お申込みはmp2008@bungei.jpまでどうぞ。



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京都府立文化芸術会館 Tel 075-222-1046
ぶんげいマスターピース工房 Vol.2『三人姉妹』
2008年8月30日(土)19:00 31日(日)14:00

□PR 観劇が更に楽しくなる「ぶんげい演劇工房」も開催中!
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2008.08.19. 09:43 | チューズデーレター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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